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提灯の歴史・成り立ち

提灯の歴史・成り立ち

提灯(ちょうちん)というと何を思い浮かべますか? お祭り、お盆、お葬式、居酒屋、などでしょうか。 最近では様々な形や素材のものが作られ、「和」をイメージさせるやさしい照明器具としても幅ひろく活用されている提灯を目にする機会も多いでしょう。 今回はその提灯がいつどのようにして生まれ、私達の生活の中へ普及していくようになったのかをお話します。   提灯の誕生 提灯は元々高い位置に掲げて使われた灯火(ともしび)のことで、初めは掲げるという意味を持つ「挑」という字が用いられ、挑提(ちょうちん)と呼ばれていました。 やがて手持ちのものが現れてから「提」という手にぶら下げるという意味を持つ字が用いられ、挑提は現在使われている提灯と書かれるようになりました。 掲げる灯火という意味での「ちょうちん」という言葉は古来より存在していたようですが、今使われている提灯の歴史の始まりは他の文化と同様に中国から渡ってきたと考えられており、室町時代(1336~1573年)の初期のころにはすでに日本にあったと記録されています。 しかしこの頃の提灯は円形状の竹籠(たけかご)の周りに火袋(ひぶくろ)と呼ばれる紙や布を張っただけで折りたたみできず、現在私たちが目にするものとは少し形状や仕様が違っていました。 今でいう籠提灯(かごちょうちん)の体をなしていて、携帯性は決して良いとはいえないものでした。 そしてその用途は主に葬儀などでしたが、この時代提灯は上流階級にのみ使用が許される特別なものだったのです。 戦場と提灯 室町時代末期(1532~1555年)のころから安土桃山時代(1573~1596年)の間に戦場などで携帯できる照明としての大量使用が要因となり技術革新がなされ、軽くて携帯に便利な折りたたみ式の提灯ができました。 細かく割り丸く癖つけした竹を骨として、和紙を張り伸縮可能なこの構造は日本オリジナルのデザインであり、現在目にする提灯の形状や仕様の原型となりました。 当時戦場で使用されたということで、質より量、そして何よりも携帯性に重きを置いたことがこのような進化を生んだのでしょう。 そして当時の絵巻の中には葬列の一員が提灯をぶら下げて歩く様子が描かれており、照明器具としてのみならず仏具としての役割もあったことがわかります。   一般庶民の生活と提灯 戦場や葬儀で使われる特別なものとされていた提灯が一般庶民に普及したのは、それからさらに100年以上後の江戸時代中期(1651~1745年)ころでした。 部屋で使われる行灯(あんどん)の光源には油を使用していましたが、闇夜に持ち歩くとなると油は携帯性に問題がありました。 暗闇の中で火を灯し携帯できる便利な照明器具が欲しいという要望が高まるなか、当時ロウソクが安く大量生産できるようになったのをうけ、これまで天皇や貴族・武士・僧侶など上流階級の人達しか使えなかった提灯が、祭礼や盆踊りなど一般庶民の生活にも広く普及していったのです。 その後一般市民に普及した提灯はさらに進化し、手持ちの照明器具としての用途に加えお店の看板としての役割などもすることとなります。 しかし和紙で作られた火袋はもろく破れやすい為、提灯の張替えという新しい商売が生まれました。 当時江戸に多くみられた提灯屋さんは、壊れた提灯の火袋を張替えるだけでなく、店名や客の名前や家紋などを手書きで器用に描いていたのです。   そして、盆供養に提灯を使う風習が浸透したのもこのころからでした。 お盆の期間に灯をともし、その灯を頼りに祖霊が戻ってくるという考え方は日本古来の宗教観・人生観です。 その後仏教や中国由来の季節習慣などの影響を受けながら、収穫祭や虫送りなど民族的習慣を取り込むことで現在の形になっていったなか、祖霊の迎え・送りの役目を果たす「盆提灯」は欠くことのできないものとなりました。 江戸から現代における提灯...

提灯の歴史・成り立ち

提灯(ちょうちん)というと何を思い浮かべますか? お祭り、お盆、お葬式、居酒屋、などでしょうか。 最近では様々な形や素材のものが作られ、「和」をイメージさせるやさしい照明器具としても幅ひろく活用されている提灯を目にする機会も多いでしょう。 今回はその提灯がいつどのようにして生まれ、私達の生活の中へ普及していくようになったのかをお話します。   提灯の誕生 提灯は元々高い位置に掲げて使われた灯火(ともしび)のことで、初めは掲げるという意味を持つ「挑」という字が用いられ、挑提(ちょうちん)と呼ばれていました。 やがて手持ちのものが現れてから「提」という手にぶら下げるという意味を持つ字が用いられ、挑提は現在使われている提灯と書かれるようになりました。 掲げる灯火という意味での「ちょうちん」という言葉は古来より存在していたようですが、今使われている提灯の歴史の始まりは他の文化と同様に中国から渡ってきたと考えられており、室町時代(1336~1573年)の初期のころにはすでに日本にあったと記録されています。 しかしこの頃の提灯は円形状の竹籠(たけかご)の周りに火袋(ひぶくろ)と呼ばれる紙や布を張っただけで折りたたみできず、現在私たちが目にするものとは少し形状や仕様が違っていました。 今でいう籠提灯(かごちょうちん)の体をなしていて、携帯性は決して良いとはいえないものでした。 そしてその用途は主に葬儀などでしたが、この時代提灯は上流階級にのみ使用が許される特別なものだったのです。 戦場と提灯 室町時代末期(1532~1555年)のころから安土桃山時代(1573~1596年)の間に戦場などで携帯できる照明としての大量使用が要因となり技術革新がなされ、軽くて携帯に便利な折りたたみ式の提灯ができました。 細かく割り丸く癖つけした竹を骨として、和紙を張り伸縮可能なこの構造は日本オリジナルのデザインであり、現在目にする提灯の形状や仕様の原型となりました。 当時戦場で使用されたということで、質より量、そして何よりも携帯性に重きを置いたことがこのような進化を生んだのでしょう。 そして当時の絵巻の中には葬列の一員が提灯をぶら下げて歩く様子が描かれており、照明器具としてのみならず仏具としての役割もあったことがわかります。   一般庶民の生活と提灯 戦場や葬儀で使われる特別なものとされていた提灯が一般庶民に普及したのは、それからさらに100年以上後の江戸時代中期(1651~1745年)ころでした。 部屋で使われる行灯(あんどん)の光源には油を使用していましたが、闇夜に持ち歩くとなると油は携帯性に問題がありました。 暗闇の中で火を灯し携帯できる便利な照明器具が欲しいという要望が高まるなか、当時ロウソクが安く大量生産できるようになったのをうけ、これまで天皇や貴族・武士・僧侶など上流階級の人達しか使えなかった提灯が、祭礼や盆踊りなど一般庶民の生活にも広く普及していったのです。 その後一般市民に普及した提灯はさらに進化し、手持ちの照明器具としての用途に加えお店の看板としての役割などもすることとなります。 しかし和紙で作られた火袋はもろく破れやすい為、提灯の張替えという新しい商売が生まれました。 当時江戸に多くみられた提灯屋さんは、壊れた提灯の火袋を張替えるだけでなく、店名や客の名前や家紋などを手書きで器用に描いていたのです。   そして、盆供養に提灯を使う風習が浸透したのもこのころからでした。 お盆の期間に灯をともし、その灯を頼りに祖霊が戻ってくるという考え方は日本古来の宗教観・人生観です。 その後仏教や中国由来の季節習慣などの影響を受けながら、収穫祭や虫送りなど民族的習慣を取り込むことで現在の形になっていったなか、祖霊の迎え・送りの役目を果たす「盆提灯」は欠くことのできないものとなりました。 江戸から現代における提灯...