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骨壺のはじまり

骨壺の歴史と成り立ち

骨壺の歴史について

現在日本ではほとんどの方が亡くなった後火葬をされ、ご遺骨を「骨壺」に納めます。

その後お墓や納骨堂に納めますが、ご遺骨はなぜ「骨壺」に納めるのでしょうか?

木箱や布製やビニールの袋ではダメなのでしょうか?

ご遺骨を納める「骨壺」はいつどのようにして生まれ現代の形に至ったのでしょうか?

今回は「骨壺」の歴史と成り立ちにスポットを当て色々と調べてみました。

 

骨壺の始まりは飛鳥時代!?

骨壺の誕生

飛鳥時代(592年~710年)に誕生したといわれる骨を納める容器は「蔵骨器」または「骨蔵器」などと呼ばれていました。

当時は土師器(はじき)や須恵器(すえき)の甕(かめ)を転用したいわゆる代用品が多かったのですが中には金属製の物や木製の物、石をくり抜いた物などもあり多様性に富んでいました。

 

骨壺の祖先 土師器(はじき)と須恵器(すえき)

骨壺の成り立ち 土師器と須恵器

土師器は弥生式土器と同じ系統の土器で比較的低い温度(500℃~900℃)での素焼きで作られているため赤褐色で素朴な印象でした。

5世紀中頃からは朝鮮半島より製法が伝わる事で窯やろくろの技術も進み土師器と共存するかたちで比較的高い温度(1,100℃~1,200℃)の窯で焼かれた須恵器と呼ばれる青色の土器が誕生しました。

須恵器は従来の土師器よりも堅く高級感があり陶器と磁器の中間的な性質を持っており、のちの備前焼のルーツとされています。

土師器と比べるとデザインも装飾も複雑になった須恵器でしたが「蔵骨器」が一般的に使用されるようになるのは火葬が庶民にまで普及してからなのでまだ先の話でした。

記録として残っている最初の火葬は700年に法相宗の開祖である道照和尚と日本書紀に記されてあり、その後の奈良時代(710年~794年)から平安時代(794年~1185年)には丸い形の「蔵骨器」も登場しました。

 

平安時代から鎌倉時代には蔵骨器(ぞうこつき)が主流に

骨壺の誕生 蔵骨器

平安時代から鎌倉時代(1185年~1333年)になると日宋貿易が始まり中国から美しい白磁や青磁を使う「蔵骨器」が日本へ入ってくるようになりましたが、鎌倉時代から南北朝時代(1333年~1392年)に共同の納骨施設が造られるようになったり、戦国時代(1467年~1590年)に入ると「蔵骨器」を使う例が減ったりするなど時代による流行り廃りもあったようです。

火葬は6世紀から7世紀ごろ特定集団の葬法で万人がやっていたわけではなかったのですが、8世紀ごろ中国よりの仏教思想に影響を受けてから徐々に広まっていったといわれています。

しかし平安時代までは「蔵骨器」同様上流階級にしか許されていませんでした。

鎌倉時代の中期から室町時代(1336年~1573年)になると上流階級にしか許されていなかった火葬や「蔵骨器」の使用が一般庶民にも普及し始めます

鎌倉時代に多くの窯場が誕生し、地域の特性を活かしたさまざまな容器を作るようになったことが要因のひとつだと考えられます。

江戸時代(1603年~1868年)になると鎌倉時代中期以降普及し始めた火葬を土葬の代わりに選ぶ一般庶民も増えてきました。

ご遺体を火葬してご遺骨にする事で墓地に使われる用地不足を解消しようと考えたためだと思われます。

そうして土葬が減り火葬が広く執り行われるようになったため、火葬したご遺骨を壺や布袋に納めて埋葬する事が増えていきました。

当時「蔵骨器」として用いられていた壺は素焼きや陶磁器の物が多かったようですが、ほとんどが「骨壺」として作られた物ではなく違う用途の物やすぐに手に入る代用品だったそうです。

 

明治時代の没後処理は火葬禁止

明治時代の火葬禁止

しかしその後の明治時代(1868年~1912年)になると火葬が法律で禁止されます。

理由は神仏分離令という神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別させるという新政府の政策によるものでした。

これは仏教中心であった葬法を一般にも神葬祭を行えるようにすることで神葬祭を推進するという廃仏思想に基づく新政府の政策でしたが、廃仏思想以外他に現実的な意味を持たなかったことと土地不足や、衛生面、遺体尊重の立場などから火葬解禁を求める声が上がり2年足らずで火葬禁止の解除が発令され終結となりました。

 

骨壺の誕生

明治8年火葬禁止令の解除とともに火葬場から遺体焼却の際の臭煙対策や、コレラの流行に対する伝染病予防対策などが論じられることとなり、火葬が法で定められ、「骨壺」の形状・材質も規格化されていきました。

火葬禁止令の廃止をうけ、衛生面から政府より全てのご遺骨とご遺灰の持ち帰りの義務が通達されました。

骨壺のサイズ一覧表

※骨壺は一般的には尺貫法(しゃっかんほう)と呼ばれる測り方で測ります。 一寸は、約3cm(3.03cm)のことです。

そのため関東では全てのご遺骨を「骨壺」に納めるようになったと考えられます。

それに対して関西ではのど仏を重要視するという観点からご遺骨の一部を「骨壺」に納めるため東日本と西日本では「骨壺」のサイズに違いがあるのでしょう。

「蔵骨器」から「骨壺」となった正確な時期とは言えませんが、法で定められ一般庶民が義務として火葬を執り行い、ご遺骨を形状・材質が規格化された壺に納め始めた明治時代がその過渡期であったと言えそうです。

火葬したご遺骨を拾い集めて容器に入れ地中に納める行為は、日本独特のものなのだということも「骨壺」の歴史を調べていくうちに知りました。

しかし海外には存在しないというわけでもなく、土葬が一般的というアメリカではなぜか斎場のみならずコストコやショッピングセンターでも「骨壺」や棺桶が売っているというのですから驚きでした。

 

現代の骨壺について

様々な骨壺

現在、骨壺に使用される材質は陶磁器が一般的ですが、大理石やガラスで作られた物や自然に還るというコンセプトで土や紙で作られた物まであるそうです。

また形状は円柱型が一般的ですが、スポーツで使用するボールをモチーフにした球体の物や、お手元供養用ですとたまご型やお部屋のインテリアになるような形状の物も存在し、最近では「終活」が広まる中ご自身の骨壺を作製してご用意される方も増えているそうです。

3Dプリンターやレーザー彫刻機などの機能が目まぐるしく発展していく中で、そう遠くない未来には概念も変わるようなまったく新しい骨壺が生まれるかもしれません。

自分が入りたい「骨壺」を構想して、作製してみるのも面白いかもしれませんね。

 

骨壺のまとめ

「骨壺」の歴史と成り立ちを調べていくと土葬や火葬といった葬法の変化や神道と仏教、一般庶民と上級階級など様々な思想や暮らしにより変化し現在に至るということがわかりました。

今後「骨壺」という物がなくならなくても、時代や人々の暮らしの中で姿・形を変えていくのでしょう。

故人や残された方々が「骨壺」の色や形や表記する文字や骨覆いの柄までも、自由に考えたり決めたりできる平和な世の中がこれからもずっと続きますように。

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